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東京地方裁判所 昭和56年(刑わ)940号 判決

主文

被告人金澤隆義を懲役八月に、同山中勝彌を懲役一〇月にそれぞれ処する。

この裁判の確定した日から、被告人金澤隆義に対し二年間、同山中勝彌に対し三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

押収してある早稲田大学商学部成績原簿一通(昭和五六年押第一、一二九号の1)の偽造部分を没収する。

理由

(当裁判所の認定した事実)

第一被告人両名の経歴及び犯行に至る経緯

被告人山中は、昭和二四年三月明治大学予科を終了後、翌二五年四月早稲田大学教育学部に入学し、昭和三〇年一〇月同学部を卒業後、翌三一年三月学校法人早稲田大学に事務職員として採用され、本部学生生活課に勤務していたが、昭和四三年一〇月早稲田大学第一商学部(昭和四八年四月の機構改革後は商学部となる。)事務所に所属換えとなり、同事務所では、最初教務係をした後、昭和四五年一〇月学生係に移り、昭和四七年以降は、デスク・チーフとして同係を総括し、昭和五五年六月同大学高等学院に所属換えとなり、教務係のチーフをしていたが、昭和五六年四月二三日付で懲戒解雇されたものであり、被告人金澤は、明治大学農学部を昭和二八年三月に中退後、同年四月中央大学第二法学部に入学し、同学部で学ぶかたわら日本陸上競技連盟事務局に勤務していたが、肺結核に罹患したため、翌二九年六月同学部を中退し、翌三〇年六月右事務局も退職して療養にあたり、その後、東京鉄道郵便局勤務を経て、昭和三五年四月学校法人早稲田大学に事務職員として採用され、本部就職課に勤務していたが、昭和四八年一〇月早稲田大学商学部(以下、単に商学部という。)事務所に所属換えとなつて、被告人山中と同じ職場に勤務することとなり、同事務所では、最初総務係をした後、昭和五二年六月教務係に移り、以後デスク・チーフとして同係を総括していたが、昭和五六年四月二三日付で懲戒解雇されたものである。

被告人山中は、昭和五一年一一月ころ、学生時代の恩人からAの両親を紹介され、右両親から、Aが商学部に入学できるよう便宜を図つてもらいたい旨依頼されたので、翌五二年二月、長年商学部事務所に勤務した後当時本部就職課に所属していた同大学の職員にその話を持ちかけ、Aの両親に出させた現金六〇〇万円を右職員に交付して、同年四月谷内を商学部に不正に入学させることに成功し、自らはその謝礼としてAの両親から現金一〇〇万円を受領した。

ところで、翌五三年二月ころ、被告人金澤は、被告人山中から、単位不足の一学生について、卒業に必要な単位を取得したかのように成績原簿を書き換えるよう依頼され、商学部教務係の部下職員に頼んで右学生の成績原簿を改ざんしてもらい、被告人山中から謝礼として現金一〇万円を受け取つて、これを右職員と五万円ずつ分けるということがあつた。

翌五四年一月下旬ころ、被告人山中は、Aの母親から、Aが全然大学に行つていないので休学させた方がよいか相談に乗つてもらいたい旨連絡を受けたため、A本人に会つて生活指導等を試みる一方、Aが成績不良者を対象とする科目登録特別指導を受けた場合にAの不正入学が発覚することを恐れ、同年二月下旬ころ、教務係の被告人金澤にAを科目登録特別指導の対象者の呼び出しの掲示から外すよう依頼し、被告人金澤をして右掲示から外させた後、同年四月初めころ、改めてAの母親から、Aが三年に進めるように語学の単位が取れたことにするよう便宜を計つてもらいたい旨依頼されて、現金一〇〇万円を渡されたので、自分が不正入学させた学生を無事卒業させようという気持も手伝つて、右依頼を承諾し、成績原簿に関する事務を所管する教務係のデスク・チーフをしていた被告人金澤に依頼してAの単位未取得の語学科目につき単位が取れたかのようにAの成績原簿を書き換えるほかないと考え、その翌日、被告人金澤に対し、現金三〇万円の入つた封筒を差し出しながら、Aの単位未取得科目につき語学を含め六〇単位程度の単位が取れたかのようにAの成績原簿を書き換えるよう懇請したところ、被告人金澤は、前年のいきさつ等から、右現金を受け取つて右依頼を承諾したが、成績原簿の大幅な訂正は目立つので無理だと考え、同月四日ころ、商学部事務所において、二年次の外国語等四科目に限つて、訂正印を用いて「不可」又は「可」の記載を「良」と訂正し、また、科目登録がされていないため空白となつている外国語二科目の成績欄に「良」のゴム印を押してAの二年次の成績原簿を改ざんし、これを成績原簿綴に編綴して同事務所に備えつけた。

そして、翌五五年三月下旬ころにも、被告人山中は、Aの母親から、Aの三年次の成績が悪いので四年に進めるよう取り計らつてもらいたい旨依頼されたところ、当時いわゆる早稲田大学商学部入試問題漏えい事件が発覚していたことから、不正入学が発覚しないうちに早くAを卒業させてしまおうという気持も働いて、右依頼を承諾し、Aの母親から現金一〇〇万円を受け取つた。

第二罪となるべき事実

被告人山中は、右依頼を実現しAを四年で卒業させるには、前年同様、被告人金澤に依頼してAの単位未取得科目につき単位が取れたかのようにAの成績原簿を書き換えるほかないと考え、同年四月初めころ、東京都新宿区西早稲田一丁目六番一号学校法人早稲田大学一一号館一階商学部事務所談話室において、被告人金澤に対し、Aの成績原簿を書き換えるよう依頼し、被告人金澤が、右成績原簿には前年度に既に四つの訂正印が押されているので、更に訂正をすると訂正印が多くなり過ぎて不自然であると考えて、新しく書き換えることを示唆したところ、被告人山中もこれに応じ、ここにおいて、被告人両名は、未使用の成績原簿用紙を用いてAの成績原簿を偽造し、これを同事務所に備え付けて行使しようと意思を相通じ、被告人金澤が、同月七日午前一〇時ころ、前記事務所事務室において、行使の目的をもつて、ほしいままに、同所備え付けの未使用の早稲田大学商学部成績原簿用紙一枚を用いて、その外国語科目、一般科目及び専門科目の一年ないし三年の成績欄に、「優」又は「良」と刻したゴム印を押捺し(体育科目については正規の成績のとおり押捺した。)、Aは三年までに体育科目を除き合計五四単位しか取得していなかつたにもかかわらず、合計一一二単位を取得したかのように記載したうえ、同日昼ころ、右成績原簿用紙の学生番号欄にナンバリングで「(学生番号)」と打刻し、氏名欄にサインペンで「A」と書くなどして、もつてAに関する早稲田大学商学部作成名義の早稲田大学商学部成績原簿一通を偽造したうえ、そのころ、これを同学部事務所教務係保管の同学部成績原簿綴りに編綴して同事務所に備え付け行使したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人両名の判示第二の所為のうち、無印私文書偽造の点はいずれも刑法六〇条、一五九条三項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、偽造無印私文書行使の点はいずれも刑法六〇条、一六一条一項、一五九条三項、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するが、右の無印私文書偽造とその行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、いずれも刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として犯情の重い偽造無印私文書行使罪の刑で処断することとし、その所定刑中いずれも懲役刑を選択し、その各所定刑期の範囲内で、被告人金澤を懲役八月に、被告人山中を懲役一〇月にそれぞれ処し、情状により、いずれも同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から被告人金澤に対し二年間、被告人山中に対し三年間それぞれの刑の執行を猶予することとし、押収してある早稲田大学商学部成績原簿一通の偽造部分は、判示偽造無印私文書行使の犯罪行為を組成した物で、なんぴとの所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項を適用してこれを没収することとする。

(量刑の事情)

判旨本件犯行は、被告人両名が、共謀のうえ、早稲田大学商学部事務所の職員という地位を悪用して、一学生の成績原簿を偽造し、これを同事務所に備え付けて行使したという事案である。

被告人らの偽造した早稲田大学商学部成績原簿は、単に学生の努力の成果を記録した文書であるにとどまらず、同学部の卒業資格を判定する基礎資料となり、また、学生の就職等に際して同学部から発行される学業成績証明書や卒業見込証明書の作成資料ともなる高度の公信性を備えた文書であつて、本件犯行は、同大学の多数の学生及び卒業生に衝撃を与えたばかりでなく、成績原簿の真正に対する学内外の信頼を失なわせ、ひいては一〇〇年もの伝統を誇る早稲田大学の社会的信用を著しく毀損したものであつて、その結果は極めて重大である。殊に、被告人山中にとつて、本件犯行は、自ら仲介の労を取つて不正入学させた学生が成績不良だつたためこれを無事卒業させて不正入学の発覚を未然に防ぐという、言わば不正入学のアフタ・ケアとしての側面をもつていたことは否定できないのであつて、このことが本件の社会的影響を一層増大させたことは言うまでもない。

確かに、本件犯行の背景には、世の学歴偏重の風潮や受験競争の過熱化、並びに、このような時流に災いされ、わが子の学歴を願うあまり、金の力に頼つて不正手段に訴えることをも辞さないとする心ない親が現われるに至つたことなどの諸事情があることは否定できず、他方、早稲田大学当局の側にも、昭和四五年ころ第一商学部で一度成績原簿の改ざんが発覚したことがあるにもかかわらず、その事件は部内で穏便に済まされ、その後本件当時に至るまでさしたる有効な防止策も立てられないままになつていたことなど、成績原簿の管理等に関して手落ちがあつたことも本件の一誘因となつたものと認められないではないが、それにしても、成績原簿の重要性を熟知し、かつ、幹部職員として他の職員を指導監督すべき立場にありながら、しかも、いわゆる早稲田大学商学部入試問題漏えい事件が発覚して同学部における不正に世人の非難が集まつているさ中に、本件犯行に及んだ点で、被告人両名の責任は厳しく問われなければならない。特に、被告人山中は、不正入学にも関与し、この事情を知らない被告人金澤を抱き込んで本件犯行を主導的に敢行した点で、同被告人に比しその犯情はより悪質であると言うべきである。

そのうえ、被告人両名は、本件犯行の報酬としてそれぞれ現金五〇万円を領得したものであるが、判示のとおり、本件犯行の前年に谷内の成績原簿を改ざんした際にも、報酬として被告人山中が現金七〇万円を、被告人金澤が現金三〇万円をそれぞれ領得し、更に、本件犯行の翌年にも、谷内の成績原簿の書き換えに代えて科目登録の便宜を図るという名目で、やはり被告人山中が現金七〇万円を、被告人金澤が現金三〇万円をそれぞれ領得しているのであつて(もつとも、被告人金澤は本件発覚後、右現金を焼却しているので、その利得は現存していない。)、これら一連の経過に鑑みると、本件犯行をもつぱら金銭目当ての犯行とまで言い切ることはできないにしても、被告人両名が金銭的利欲に目がくらんで規範意識が鈍麻した結果、本件のような大胆な犯行に及んだと言つて差し支えない。

以上のとおり、本件犯行の態様の悪質さと結果の重大さに鑑みると、被告人両名の責任は重大であると言わなければならない。

しかしながら、本件をめぐるいきさつを仔細に検討すると、被告人金澤は、本件と不正入学との関係を知らされておらず、同じ職場の先輩職員である被告人山中のたつての頼みであつたので、職場での協力関係を損ないたくないという思惑等も働いてこれを断わり切れなかつたものであつて、本件犯行の際も終始受動的であり、本件犯行後は成績訂正方法の改善策を進言するなど自分なりに事件の再発防止に努めていたこと、また、被告人山中は、不正入学に関与したとは言え、本件のA一名について、学生時代からの恩人に頼まれて仲介の労を取つたに止まり、不正入学の実行行為には関わつておらず、本件犯行については、右不正入学のアフタ・ケアとしての側面を否定できないものの、被告人山中の性来の面倒見の良さが逆に災いしてA本人に情が移つたこともその一因と認められること、更に、被告人両名とも、これまで前科前歴もなく、真面目に働いてきたものであつて、被告人金澤は大学職業指導研究会、被告人山中は早稲田大学航空部及び競走部というそれぞれの分野において社会的功績をあげていること、両名とも、本件犯行を深く反省して自白しており、特に、被告人金澤は本件犯行及びその前後にわたる不正行為によつて得た金銭のうち一〇〇万円を財団法人法律扶助協会に寄付してしよく罪の意を表明しているなど改悛の情が顕著であること、本件に対しては大きな社会的非難が加えられているが、前記の諸事情を考慮すれば、そのすべてを被告人両名のみの責任に帰せしめるのは相当でないと考えられること、被告人両名とも本件犯行の発覚後世の厳しい指弾を浴び、昭和五六年四月二三日付で早稲田大学から懲戒解雇されるなど、既に社会的制裁を受けていること等を併せ考慮すると、被告人両名に対しては刑の執行を猶予するのが相当であると判断した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(新谷一信 谷鐵雄 朝山芳史)

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